探訪 杉山 潔志

井手の下帯
山城古道・椿坂
▲山城古道・椿坂
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〔山背古道の椿坂〕
 山背古道(やましろこどう)は、京都府城陽市のJR城陽駅付近から綴喜郡井手町を経て木津川市に至る南山城東側の丘陵地にある社寺や史跡沿いを通る道です。山背古道が京都府道和束井手線付近から玉川に至る辺りの田園地帯を通る坂道は椿坂と呼ばれています。椿坂沿いには農家風の井手町まちづくりセンター「椿坂」が作られ、町民の交流の場や山背古道のハイカーの休憩所として利用されています。
 
〔大和物語が伝える椿坂のロマンス〕
 平安時代中期に書かれた大和物語に椿坂を舞台とした次のような恋物語が収められています。
 昔、内舎人(うどねり)だった人が大神神社(おおみわじんじゃ)の官幣使として大和の国に下り、井手に至った時、可愛らしい女児を抱いた綺麗な女を目にして「この児を他の男と結婚させるな。私と結婚しよう。この児が大きくなった頃に参上する。」と言って、形見にと帯を解き手紙に結んで渡し、立ち去りました。この児は渡された形見の品を持って、内舎人を忘れず待ち続けました。こうして7、8年が経ち、内舎人は同じ官幣使として大和に派遣され、井手の地に至ったのです。
 はたして2人は・・・原文はここで途切れ、これ以降は不明です。
 
〔井出にまつわる恋の伝承〕
 大和物語の前に成立したと推定される伊勢物語では、
むかし、男、契れることあやまれる人に、
 山城の井手の玉水手にむすびたのみしかひもなき世なりけり
  といひやれど、いらへもせず
という男の悲恋の物語が載せられています。
 しかし、平安時代末期の歌人藤原俊成の歌集・長秋詠草には、
ときかへし井手の下おび行きめぐりあふせうれしき玉河の水
という歌が載せられています。女に裏切られた男の悲恋の物語が、初恋成就の物語へと転換されたのでしょうか。
 「井手の下帯」を広辞苑(第4版)で引くと、大和物語の伝説からとして「別れた男女が再びめぐりあって契りを結ぶこと」の意味であると書かれています。椿坂の恋はハッピーエンドの物語として定着したのです。
 田園風景が残る椿坂に立ってみると、内舎人と待ち続けた女性のロマンスの情景が目に浮かぶようです。
 
「椿坂」標石
▲「椿坂」標石
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〔婚約の成立の法的な意味〕
 平安における婚約の意味は判然としません。伊勢物語の男は結婚の約束が成就しなかったようです。しかし、大和物語では、内舎人と少女は婚約をし、その証拠として男が下帯と手紙を手渡しました。
 婚約は現代では法的に保護されています。婚約を破棄した場合、婚約者どおしを意に反して結婚させることはできませんが、不当に破棄した者には慰謝料など損害の賠償義務が生じます。
 現代社会で婚約をして8年も音信不通にすれば、相手方から婚約の履行を迫られたり、婚約不履行といわれそうです。正当な理由があるとして婚約破棄を通告されるかもしれませんね。
 
2018年2月