探訪 杉山 潔志

らくがき寺
〔落書きの語源と価値〕
 道路の用壁、建物の壁や塀、樹木の幹などに書かれた落書きを見かけますが、最近は少なくなった気がします。落書きの語源は、特定の人を風刺する意図でその人の門や壁に貼られたり、目に付く場所に落とされた文章である落書(らくしょ、おとしがき)であると言われています。
 落書きの多くは美観を害するだけで、無意味・無価値なものが多いようですが、民俗学の見地からは書かれた当時の風俗や文化を知る手掛かりになるものもあり、また、有名人の落書きには値段がつくこともあるようです。
 
〔歴史的に有名な落書き〕
 古代ローマ時代のポンペイの街では発掘によって多くの落書きが発見されました。落書きは、選挙の際の推薦文や剣闘士への応援、酒店へのクレーム、恋敵への呪いなど多岐にわたっており、身分の低い人も落書きを残していることから住民の識字率が高かったと指摘されています。
 アンコールワット遺跡には、1632年に訪れた肥前松浦藩士森本右近太夫らが墨と筆で残した落書きがあります。右近太夫の落書きは「父母の菩提のため、数千里の海上を渡り・・・」と記されているとのことです。
 古代マヤのティカル遺跡(グアテマラ)の建物には、神殿や輿に乗った貴族などが描かれた落書きがあり、当時の社会や生活の様子が窺える資料となっています。
 イギリスのロンドン塔やベルリンの壁の落書きも有名で、様々なメッセージを発信しています。
 
〔最近の有名な落書き事件〕
 最近有名になった落書き事件としては、2008年2月にイタリアのフィレンツェの歴史地区にあるサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂に岐阜市立女子短大の学生6人が行なった落書き事件があります。学生らは謝罪して大聖堂の保全のため600ユーロを寄付し、学長と学生代表1人が直接現地に赴いて謝罪したそうです。大聖堂側は、謝罪訪問に感銘を受け、寄付金で落書きを消した場所に学校名入りのタグを作ると表明しました。
 2016年6月30日には、海外研修でドイツのケルンを訪れていた神奈川大学の学生2人が世界遺産のケルン大聖堂の回廊に落書きをし、その画像をツイッターに投稿したことが判明し、副学長が学生2人と謝罪し、修復を申し入れました。大聖堂側は、必要ないと対応したそうです(朝日新聞デジタル2016年8月3日より)。もっとも、ケルン大聖堂は落書きだらけの状態のようです。
 
〔落書きに対する処罰〕
 建物に落書きをすれば建造物損壊罪(刑法第260条:5年以下の懲役)が成立します。公園の公衆便所の外壁にラッカーで「反戦」と大書した事件では、建物の外観・美観を著しく汚損し、そのままの状態で一般の利用に供することを困難にしたなどとして建造物損壊罪に処せられました。建物以外の落書きは器物損壊罪(刑法第261条:3年以下の以下の懲役または30万円以下の罰金もしくは科料)となります。コンクリート塀にスプレー式ペンキで「首切りを撤回せよ」などと書いて器物損壊罪に処せられた事件があります。落書きの内容によっては、脅迫罪や名誉毀損罪が成立することもあります。重要文化財への落書きは、5年以下の懲役もしくは禁錮または30万円以下の罰金に処せられ、その所有者の落書きも処罰の対象となっています(文化財保護法第195条)。
 また、奈良県は、「落書きのない美しい奈良をつくる条例」を定め、違反者に10万円以下の罰金を科しています。鳥取県は「日本一の鳥取砂丘を守り育てる条例」を定め、砂丘に面積10㎡を超える文字・図形・記号を表示した者に対し5万円以下の過料を科しています。
単伝寺(らくがき寺)山門
▲単伝寺(らくがき寺)山門
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〔落書きを認めるお寺〕
 落書きは刑罰をもって禁止される行為ですが、京都府八幡市八幡吉野垣内には、落書きを認めている単伝庵(たんでんあん)というお寺があります。通称、「らくがき寺」といわれています。
 単伝庵は、200年程前に臨済宗妙心寺派の大本山である妙心寺の単伝和尚が、人々を怪我や災難から救うことを発願して救苦観音を安置したのが由来で、大黒様が見やすいように願いを壁に書くことが発端となって参拝者が大黒堂の内壁に願い事を書くようになったとのことです(尚書省三國志部のホームページより)。
 
大黒堂内の落書きルール掲示
▲大黒堂内の落書きルール掲示
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〔らくがき寺の落書き〕
 らくがき寺の落書きにはルールがあります。「願い事を書く」「落書きは大黒堂の内側白壁部分に限られる」「備え付けのサインペンを使用する」「他の人のためになるべく小さく書く」などです。
 大黒堂の内壁には、多くの落書きが書かれていますが、ほとんど願い事です。壁一面を埋め尽くす願い事の落書きは圧巻です。個人的な願い事がほとんどでしたが、「世界平和」などの落書きもありました。私は、拝観料と落書き料を納めて「日本が戦争をする国にならないように」と書きました。
 
2017年1月